エレンは絶対に何か大事なことを隠している。
そう確信したのは、ウォール・マリア奪還作戦から帰還した頃を境に、あからさまなほど不審な挙動が増えたからだ。会議中に突然叫び声をあげて立ち上がったり、式典の最中に続きの所作をド忘れして硬直したり、振り返ってみればますます怪しく思えてくる。
お互い拠点が違うから顔を合わす機会もそんなにない。とはいえ、私が目にするエレンはいつも何らかの考えごとにふけって心ここにあらずといった様子でどこか現実でないものを見ている。たった今、本部の廊下を通りがかりに見かけた本人にしてもそんな調子だ。窓の外を見つめながら物憂げにボンヤリとひとり佇んでいる。
けれども、私からエレンにかけられる言葉があるだろうか。
先の奪還作戦は壮絶な死闘だったと聞く。仲間である大勢の兵士を犠牲に払い、やっとの思いで到達したエレンの生家に遺されていた真実も、この壁内の共通認識を根底から覆すようなことばかりだった。何重にも過酷な現実の渦中に置かれたエレンの懊悩がいかばかりかなど、私に知るよしもない。ふさぎ込んでしまうのも当然と思えばそうなのかもしれない。
何もせずただ帰りを待っているだけだった私に、いったい彼等の何が分かるというのか。
いくら無遠慮なエレンにだって、他人に踏み込まれたくない領域くらいありもするだろう──そんなことまで思い、声をかける機を計りながら彼を見遣っていると、視線を察知したのか不意にこちらに顔を向けた。
しかし、私の姿を見とめるか否かの瞬間にサッと目を逸らした。たったそれだけのことだった。それだけのことだったのに、露骨に避けるような態度をとられたからか、それまでの逡巡がどこかに吹っ飛んでしまった。
「ちょっとエレンッ!待ちなさい!」
「なっ……」
声を張りあげて呼び止め、ずかずかと音が鳴るくらい靴底を踏みしめてエレンに詰め寄る。私の気迫に怯んだエレンは反射的に後ずさりをしようとしたが、すぐ真後ろにあった窓ガラスに背をぶつけてアッサリと間合いを縮められることとなった。背丈の開きがあるぶんだけ私が彼を睨みあげる体勢になる。それでもなお目を合わせようとしないので尚さら眉間にシワが寄るし口も尖る。
「なんで怒ってんだよ…」
「怒ってないよ」
いや、怒ってんだろ…と言いたげな素振りでやっと私の方を向いた。そんなに険しい顔になっているだろうか。少なくとも日頃のエレンの剣呑な目つきよりはマシだろう。
「なんなんだよ……」
「それは私のセリフだよ。エレンこそどうしたの?」
「どう、って……」
やっぱりなんだか様子がヘンだ。以前にも増して態度が煮え切らない。
「何か隠しているでしょう」
「…………」
「何か見えたの?」
「いや……」
エレンの背後にある窓の向こうで、太陽を覆っていた雲が流れて日がさしこむ。ほんの一瞬だけのことではあったが、私の立ち位置からは、逆光で陰りを増した彼の表情がよく見えなくなった。暗がりに同化して沈黙する姿に余計底の知れなさを感じる。それでもなかば意地になって目を逸らさずに詰問を続けた。
「言えないこと?」
「……いいや」
「……言いづらいこと?」
「……………あぁ、そうだ」
「……そっか」
長い沈黙を置いてようやくそれだけを認めた。最初にカッとなって呼び止めた時はどうにか聞き出してやろうとまで思ったが、なにかを耐えるようにキツく歪めた面持ちとこわばる声音で干渉を拒もうとするエレンを前にして、これ以上の言及をする気概も徐々に削がれていってしまった。
かねてより私達が試している他者の記憶を誘発させる接触実験では「人類の今後に関わる重要な情報を得たら必ず報告するように」と兵団側から義務付けられている。それはエレンだって重々承知のはずだ。それでも黙っているということは、ひょっとしたら私がにらんでいるほど重要な事柄ではないのかもしれない。もしくはごく個人的なことで、やはり他人の私が踏み込んでいいことではない可能性もある。
それでも、どうしても──知りたいと思ってしまうのは、どういう気持ちから来ているのだろう。
躍起になっているのか、ただ放っておけないからなのか、自分でもわからない。けれどほぼ無意識のうちに彼の片手に自らの手を伸ばしていた。ふたりでこれまで幾度も「きっと何か手がかりが掴めるかもしれない」と一縷の望みをかけて繰り返した動作そのままに。
しかし、指先が触れるか否かの瞬間に気配を察したエレンが私の手首を袖ごと掴みあげ、私の目論見は阻まれた。明らかに制止と拒絶の意を示している。突然強い力で捻りあげられて少し驚いたが、それはエレンも同じだったのかハッと目を見開いてすぐに手を放してくれた。
「悪い……」
「ううん、私のほうこそ」
「……言わなきゃいけないのは、分かってるんだ…」
エレンは今度こそ私の視線に耐えかねたように項垂れた。小さく相槌を打って先の言葉を待つ。彼は頭の中をうごめく何かをやり過ごすようにしばらく眉根を寄せて無言でいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「ただ、今は……まだ、充分じゃない」
「うん」
「とてもじゃないが、すぐには言えない」
「うん」
「ごめん……」
「私は大丈夫だよ。エレンはどうなの?」
「え?」
「ここのところずっと会うたびに様子がおかしいし顔色がすごく酷いよ。夜は眠れているの?色々あってそれどころじゃないかもしれないけど、ちゃんと休息だってとらなきゃ。兵士は身体が資本なんでしょ。エレンなら尚更じゃない」
「……母ちゃんかお前は…」
母親めいているのかどうかは知らないけど、勢いに任せてお節介ごとを一気にまくしたててしまった。エレンは私の剣幕に気圧されながらも、どこか張りつめていたものが少しは緩んだのか、呆れたようにため息をこぼしながら後ろ頭を掻いた。
「オレ、そんなに顔に出てるのか……」
「そうだよ。たまにしか見ない私だって気づくほどだもん。たぶん周りの皆もとっくに気づいてるよ」
「まだ何も言われてねぇ」
「きっと気遣ってくれてるんだよ。エレンが自発的に打ち明けてくれるのを待ってるの」
「…………」
思い当たるフシがあるかもしれない…といった様子でエレンは視線を彷徨わせた。自分の表情を確かめるように口元に手のひらを当てている。相変わらず嘘がつけないタイプだ。これほど分かりやすいのに本当に今まで誰も何も言わなかったのだろうか。あるいは本人が気づいていなかったのだろうか。
「…言えるようになったら、私じゃなくてもいいから誰かにちゃんと言ってね」
「……あぁ、わかった」
「あんまり溜め込まないようにね」
「わかったって」
「約束する?」
「……もう勘弁してくれ」
これ見よがしに指切りのポーズで小指を立ててみせると「そこまでガキじゃねぇよ」と苦笑い気味に却下されてしまった。明確な約束をとりつけるまでには至らなかったけど、多少なりとも気が紛れたのならここが引き際だろう。
重荷ばかりを背負い込む彼の身が、わずかにでも軽くなればいい。ひとりで抱えこもうとするのが悪いクセだ。いくら巨人の力を有する立場だからといって、エレンひとりにしか任せられないことばかりではないはずだ。肩代わりできるなら誰かに分担させてしまえばいいのに。これでは何のために組織や仲間があるのかわからない。
エレンが本当に押し潰されてしまう前に、差し伸べられた手に気づいてどれかひとつでも借りる気になってくれたらいい。ひとまず今は──そう祈ることしかできそうになかった。
<了>